受け継がれる味わい深き伝統
明治時代、ほとんどの焼酎蔵は、かめ仕込み、木樽蒸留器、かめ貯蔵が一般的な造りでした。木樽蒸留器で造られた芋焼酎は、木樽特有の香りと味があったそうです。また、昔から錫蛇管は焼酎の蒸留に使われていましたが、手づくりで手間とコストのかかる錫蛇管はほとんど姿を消し、ステンレスにとって代わりました。その古式ゆかしい木樽錫蛇管で蒸留した「金計佐」。古き良き時代の原点の味わいを表現するために、千社札をモチーフにしたラベルとしました。文字は千社札で用いられる江戸文字(髭文字)を使い、全体に木版画の風合いを出しています。神社・仏閣に奉納された千社札は、天井や壁に貼られ埋め尽くされてゆきますが、金計佐のボトルも、いつか酒屋や料飲店の棚を埋め尽くされることを願ってやみません。
原点の思いを込めた芋焼酎
火と酒を結びつけた最初の人はアリストテレスといわれています。彼の四大説(万物を構成する火・地・空気・水の四元素)から火と酒は古代ギリシャで結ばれ、やがて古代エジプトに花開いた『錬金術』と融合して蒸留酒は進化を遂げました。つまり日本の蒸留酒の起源は、古代ギリシャであり古代エジプト。大きな視点で考えれば、蒸留酒を発展させた『錬金術』こそが、芋焼酎を生み出したといえます。
初代当主、新平金計佐(きんげさ)も『金』の文字を有しており、原点を忘れることなく錬金術のごとく技術を磨き、最高級の味を目指して名付けられたのが『金計佐』です。最後の一滴まで熱き情熱を注いだ芋焼酎。新平酒造の初心が、ここに込められています。